光岡自動車はなんのためにメーカー各社からベース車承諾を受けられるのだろうか?

ryu-gi
光岡自動車が2014年6月27日に新発想の(ハイブリッドカー(以下HV)「リューギ」を発売スタートした。 

今回は「光岡自動車はなんのためにメーカ各社からベース車承諾を受けられるのだろうか?」だ。

これ、けっこう謎でしょ? 

どのような方法で、メーカー各社からベース車使用の承諾を勝ち取っているのだろうか、聞いてみることにしました。 

ようやく光岡初のハイブリッドカー初披露

やっと光岡からもHVが発売された。

その名はリューギ。

基本車はカローラアクシオだ。

同社のコンパクトセダン、ビュートとフルサイズセダン、ガリューの中間の位置づけ。

大学中退以来、光岡一筋二十数年の同社広報・笠原勝義氏に聞き入っていると、「何がなんでもHVを出したかったということではなく、デザイン優先で考えていった末、カローラアクシオをベースに作ることになったのです。

そうしたなかで、利用者からの要望も強かった、HVモデルを発売することになってました」とのこと。(ガソリン車もあり)
 
その点では、よくトヨタはHVを作り出してくれましたよね、どういった交渉術を使っているんですか?と聞いてみると「トヨタさんとのお付き合いは初めてではないので、交渉の方法においては秘密です(笑)」(笠原氏)秘密と聞かされると知りたくなるなあ。

そこで、しつこく「いかようにして、メーカー各社と親しくなっていったんでしょうか? 

大企業であるトヨタや日産と仲よくなるって難しいことだと思うんですけど』と再び聞いてみると……

大河ドラマ・光岡自動車ストーリー

光岡がメーカー各社と仲よくなった経緯を解説するためには、まず光岡の創業物語を知って欠かす事が出来ない~と笠原氏。

光岡の会長・光岡進氏は自動車やバイクに興味深々の子ども時代を経て、富山の工業高校を卒業する。

地元の富山日産自動車に就職。

セールスマンとして過ごし、乗用車を作っていた頃の富山日野自動車へ移動する。

だが、日野は乗用車から撤退。光岡氏は乗用車執念があったから、 退社後の富山市内の馬小屋(創業時の’68年はまだ富山市内に馬や牛がいたそうな……)を借りて、自動車の修理工場を開いた。

スタートした時は、ご近所さんの車を手直ししたり、日野時代に販売した自動車のリペアをしたり細々と営業。

しばらくすると、中古車 販売業を全国に展開開始。順調に会社は発展していく。

あれれ…・:?・ これでは中古車旱の経営で成功した人の話で終わってしまいそうだ。

やっぱり、ここから光岡のオリジナリティが発揮されていく。 

以前、光岡氏はたまたま目に入ったフランスメーカーの50ccのクルマを輸入し、セールスする。

ところが、故障が続発。

仕方がないからホンダのタクトのエンジンを載せてみたら、問題なし。

壊れにくくなりました。そのタイミングで、’82年に、原付免許で車いすのまま乗り込める車(斬新なアイデアだなあ)BUBUシャトルを発売。月に200台売り上げるヒットアイテムとなる。

が、’87年に免許法が変更されゼロハンカーは原付免許で運転不可能になった。 

売り上げは激減、会長意気消沈。 落ち込んだ光岡氏は、アメリカに傷心旅行へ。

そのアメリカで、ポルシェ356スピードスターのレプリカ車を見つける。

シャーシはVWのビートルでボディはFRP製。アメリカでは名車のレプリカを自身で組み立てる、キットカーが売られていた。

すぐさま、キットカーを買って帰り、組み立ててみたのです。 

そこをきっかけに、シルビアQ’Sラ・セードしたオリジナルカー、ラ・セードを発表。

このクルマは、フレームから開発し、改造車検申請が受理されたのである。

光岡流・自動車メーカーの作り方

光岡氏はラ・セードの改造車検が通ったことで自信がつけた。

「フレームから開発すれば、必ずや自動車メーカーに生まれ変われる」とフレームからの自動車開発を決心。

運輸省(現在は国土交通省)に出向き、「自動車メーカーになりたいわけですけど」と相談したと話す。 

広報の笠原氏いわく「田舎のおじさん(光岡氏)が、いきなり運輸省に行って″自動車メーカーになりたいって口にしてみても相手にされませんよね(笑)。」
始めたころは、言うまでもなく門前払い。

何度も足を運ぶうち、運輸省の役人から自工会(日本自動車工業会)に入ってみては?」と提案される。

それを利用して、自工会へ行ってみると・・・・。

「会費は高いわ、自社のスタッフを何人か自工会に出さなぎゃいけないわで、とてもじゃないけど入れなかったんです(笑)』(笠原氏)。

そのうち、光岡氏の思いが運輸省を動かし、膨大な量の書類の処理をこなし、もちろんの苦労の末に’96年にゼロワンで型式認定を取得。笠原氏によると「政治家などのコネはまったくありません。地道に頑張っただけです。」

光岡の大躍進のひとつの理由として、オロチの開発が存在している。 

「オロチ開発時には、各メーカーさんに本当に助けて頂いたわけです。第一歩から完成まで5年ほどかかっていますので、将来的に発売するエンジンのデータがほしくてですね……、各メーカーにお願いした所です。

開発中のエンジンのデータください!って。

それから、なんとトヨタさんが協力してくださったんです。

トヨタさんだけじゃなく、各社いろいろな面で協力してくださってオロチは完成しました。

オロチで儲けがあったかって? 決定的赤字ですよ。八……」(笠原氏)

他メーカーの新車開発にそこまで協力するとは、自動車メーカーはフトコロが深いなあ~。 

「メーカー各社さんには、よくしていただいています。

ただし、うちの会社のオリジナルカー部門の売り上げは全体の1割ぐらい。

売り上げの大半は中古車や輸入車の販売部門が占めていると言えます。

これからも光岡は面白くてワクワクドキドキする車を作りますので、よろしくお願いしますね!」と笠原氏。

未来に向けた光岡に注目したい。